●それはタカ派自民党議員から始まった 自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟
佐藤 博文
●自衛隊イラク派兵違憲判決歴史的意義とこれからの課題
佐藤 博文
●イラク戦を生々しく描く
名古屋高裁判決文(1)
名古屋高裁判決文(2)
名古屋高裁判決文(最終回)
●今からでも読む憲法
第1回 前文
第2回 第1章 天皇
第3回 第3章25条
人間に値する生活を(1)
三成 一郎
第4回 第3章25条
人間に値する生活を(2)
三成 一郎
福島県の海岸に造られた東京電力福島第一原子力発電所は、3月11日の地震と津波で大きな損傷を受け、危険な放射能をばらまきつづけています。この事故の規模は、米国ペンシルバニア州で起きたスリーマイル島原発事故(1979年)を上回るともいわれています。
原発は、地震を感じると自動的に核燃料の分裂を止め、原子炉を停止させます。しかし、そのあとも水で冷やし続けないと 炉の発熱は止まりません。これは、炉心にたまっている核分裂生成物から放射線が出て熱になるからです。そのままにしておくと、炉心の温度が上がって水が蒸発し、「空焚き」状態になります。
4つの原子炉が稼働していた福島第一原子力発電所では、大津波で電源が止まり、冷却用の水を炉心に送ることができなくなりました。外からの送電線も切れ、緊急用の発電機も止まってしまい、制御不能の状態になりました。そして高い温度のために水素ガスが発生し、そのガスが爆発して1,3,4号の原子炉を入れた建屋(たてや)が壊れました。原子炉からは放射性物質が空気中に放出され、風にのって遠く東京などにまで流れています。また地下水や土壌の汚染も報告されています。
原子炉には、消防ポンプ車などによって水が注入されましたが、こんどは高い放射能を含んだ水が原子炉から漏れ出るようになってしまいました。その水が、原子炉に併設されているタービンが入った建物や外部の溝に流れ込んだほか、2号機のひび割れから直接海に流れこむ事態となりました。
3月4日、東京電力は、高濃度の汚染水を保管するタンクが必要なため、「廃棄物集中処理施設」に入っている「低レベル汚染水」およそ1万トンを海に流す作業を始めました。この汚染水の放出について日本政府は、「やむをえない」としています。
原子炉からの高濃度の汚染水が流れ込んでいる2号機の取水口付近の海水からは、国の基準の750万倍というたいへん高い放射性のヨウ素131、放射性のセシウム137も、国の基準の110万倍の濃度で検出されました。
1990年に米国の核規制委員会が出した報告書では、米国内の5つの原発について、今回のような「地震→原子炉の自動停止→送電が途絶える→非常用発電機が動かない→炉心の損傷」という事故が起きる確率を計算していました。福島第一原発で起こった事故は、20年も前に予想されていたといえます。
日本では、「原発は絶対安全だ」という宣伝がいきとどき、このような事故の可能性はたびたび指摘されながらも無視されつづけてきました。2009年には、津波の専門家が、東北地方で大津波が起こる危険性を東京電力に直接指摘していました。しかし、東電側はまともに検討さえしませんでした。
日本では「原発は絶対安全だ」といって、原発の大増設が進められ、いまでは全国に54基の原発が稼働しています。
北海道[泊原発]、青森[東通原発]、宮城[女川原発]、福島[福島第一、第二原発]、新潟[柏崎・刈羽原発]、茨城[東海第二原発]、石川[志賀原発]、静岡[浜松原発]、福井[敦賀、美浜、高浜原発]、島根[島根原発]、愛媛[伊方原発]、佐賀[玄海原発]、鹿児島[川内原発]
計画中:14基
最大の問題は、日本では「原子力の安全監視のための独立した規制機関がない」ということです。今度の事故にかんする記者会見でたびたび報道される「原子力安全・保安院」も、じつは原発の推進機関である経産省資源エネルギー庁の下に置かれているものです。東京電力の発表をそのまま繰り返すなど、チェック機能は果たしていません。
評論家の西尾幹二さんは、 "津波のたえない東北地方に原発をつくることの意味を設計者は知っていたはず"と次のように語っています。(産経ニュース、2011年3月30日)
「東京電力は今回の津波の規模は『想定外』だというが、責任ある当事者としてはこれは言ってはいけ ない言葉だ。たしかに津波は予測不能な大きさだったが、2006年の国会で、共産党議員がチリ地震津波クラスでも引き波によって冷却用の海水の取水停止が 炉心溶融に発展する可能性があるのではないかと質問していた。二階俊博経産相(当時)は善処を約していたし、地元からも改善の要望書が出されていたのに、 東電は具体的改善を行わなかった」
そして、建設から40年もたつ原子炉もあることから、老朽化にたいして「考え得るあらゆる改善の手を打っていた後なら、津波は『想定外』の規模だったと言っても許されたであろう」、しかし「危険を予知し、警告する人がいても、意に介さず放置する。破局に至るまで問題を 先送りする。これが、日本の指導層のいつもの怠惰、最悪の中の最悪を考えない思想的怠慢の姿である。福島原発事故の最大の原因はそこにあったのではないの か」と指摘しています。
白い砂浜に砕ける波、毎日泳ぎに通っていた福島県双葉町の海岸は、いまでも私の脳裏に焼きついています。実家は福島県白河市ですが、小学生のときからひとりでバスに乗り、双葉町の祖母の家にいくのが私の夏休みでした。
海のない白河と違って、いつも獲れたての魚が並んでいた魚屋さん。店先でウニがピュッと水を噴いていたのを今でも思い出します。祖母がつくってくれた大きなおにぎりを持ち、数キロの道を歩いて海岸へ。くちびるが紫色になるまで海につかり、冷えたからだを熱い砂に埋めるのが「至福のとき」でした。岩場でカニを追い、小魚を捕まえて焼いて食べました。その浜辺に、アスファルトの小さな塊が打ち上げられるようになったのは、中学生になったころでしょうか。町の南の浜に「原発」が建設され始めたのです。
酒屋を営みながら、トラック運送もしていた叔父は、原発関連の資材を運ぶ仕事も請け負っていました。原発を見てみたいと思った私は、叔父が荷物を運ぶというのでトラックに乗せてもらい、敷地内に入ったことがあります。だだっ広い敷地に、造りかけの大きなコンクリートの建物がありました。日本人の作業員にまじって、外人の姿も見えました。1号炉を設計したGE(ゼネラル・エレクトリック)社の米国人社員だったのかもしれません。
そのころの双葉町は、「原発」景気にわいていたように思います。叔父の酒屋も「東電(東京電力)」のお客さんからの注文がたくさんきました。町に税金がたくさん入ったせいか、体育館などりっぱな施設ができました。
それから40数年が過ぎ、町全体が避難しなければならない悪夢のような事故となりました。双葉町のいとこたち、隣の浪江町や小高町の叔母たちも、みんな原発の20㌔圏内に住んでいるので、どこかに避難しているはずです。でも、いまどこにいるのかわかりません。
私の夏休みの「すべて」だったあの海には、どんどん放射能汚染水が流されています。田んぼにも畑にも、牧場にも、学校にも、病院にも、放射能が降ってくる――こんなことがあっていいのでしょうか。毎日、原発の無残な姿をニュース映像でながめ、自分が子ども時代を過ごしたあの町、あの海が壊されてしまったと空虚な気持ちにも襲われました。
40年前、人々は心のどこかでは、「原発はちょっと怖いな」と思っていたと思います。でも、原発ができれば町がよくなる、原発に事故など起きるはずがない、そう聞かされてきたのです。「原発」に文句をいうのは、タブーのようでした。大企業や偉い政治家が「原発は安全」というのだからと、黙ってしまったんじゃないでしょうか。
東北人はがまん強いとよくいわれます。被災地の中学校の卒業式で、卒業生が「天を恨まず運命に耐えて助け合っていく」というすばらしい答辞を読みました。確かに大地震や大津波という「天災」なら、「天」を恨んでも仕方ないことかもしれません。そして「恨む」だけでは一歩も前に進みません。
私は、その中学生の言葉に刺激されて、しばらく考え続けました。地震や津波は大自然のいとなみであるにしても、過去の経験から「いつか起こるだろう」と洞察することができた人々もいるのです。「地震と津波」の国に、人間がまだ制御しきれていない「原子力」施設を造ることの危険性を見通せた人々もいます。そういう声に耳をかさず、地元の人々に都合の悪いことは知らせないできた東京電力は、今度の地震が「想定外だった」といいわけをしています。
私は、少なくとも今度の原発事故は「人災」だと考えます。「運命」として耐えるわけにはいきません。ここまで事態が厳しくなっても、東電や政府は情報をすべて伝えていません。黙っていたら、いつまでも情報を隠し続けるでしょう。「これがいったいいつまで続くのか」「本当の情報がほしい」--避難した人々から声が上がっています。
そうだ、ものをいう東北人になっぺ(なろう)、がんばって声をあげよう東北、そして日本!
「今は来ないほうがいい」、そう白河の知人に聞かされて、私は米国でただニュースを見ているだけでいまは何もできません。知人に託して義捐金を送っただけです。でも、日本まで届くような大声で私は声援を送っています。